なんで人はあんなにも気忙しく動くのだろう。
帰りたい場所があるから?
時間に追われているから?
それとも、通常の状態が、俺には早いのだろうか。
例えば曖昧なリレーションの上に、或いは下に形成される束縛された孤独。
そういう物をただ消費するような時間。
それを楽しめるように、楽しむようにするのがいいんじゃないかなぁと思う訳です。
耳の痛さに比例する空の奇麗さとか、
普通の3倍くらいの時間をかけて進む夜の道とか、
その時に聞こえてくる排水溝の水の音とか。
多分、誰もが見落としてるのは、その辺なんじゃないかと思う。
そして、見落とし続けるのを、俗に成長と呼ぶのだと、思っている。